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トピックストップ | くすりの話@
 
 
薬剤師として、薬に関する話題などを思いつくままに提供していきたいと考えています。そこで今回は、第一回目に相応しく国民的英雄(?)の水戸黄門にまつわるお話です。  
くすりの話 @・・・水戸黄門の印籠の中身は?  
現在は休止中ですが、関東地区ではTBSで放映されている「水戸黄門」では毎週月曜日、夜8時45分頃(毎週一定に時間で、そのシーンだけ見るというフアンも多いと聞いています)になると、「この紋所が目に入らぬか!」と叫びながら格さん(渥美格之進)が懐からおもむろに取り出すおなじみの印籠―三つ葉葵の印籠にはいったい何が入っていたのでしょうか?   
印籠とは、その名の通り、もともとは印や印肉を納めるためのものでした。薬品入れとしての印籠の成立時期は判然としませんが、薬品の携行を最も必要としたのは戦陣における武士であり、そのときに腰に提げて携帯用とされた薬入れが、戦国時代を経て、しだいに佩用の薬入れとしての体裁を整え、近世初頭には上層階級の玩弄とされるような細巧な印籠に発展するに至ったと想定されます。

これに印籠の名を冠したのは、印籠を薬籠としても用いるという前代の考え方がそのまま踏襲されたためと考えられています。しかし、江戸時代には形式も多様化し様々な技法を駆使した精巧なものが作られるようになり、携帯用のくすり入れ(携帯用救急箱)として用いられるようになりました。ですから、本来は印籠とは呼ばずに薬籠とでも呼ぶべきものであると考えます。テレビや映画の時代劇でも、突然の腹痛などに困っている旅人(なぜか美女の場合が多いのですが)に、印籠から薬を取り出し、差し出すシーンがよく見られます。
 
印籠に入っていたというその薬はいったいどのような薬だったのでしょうか?
 
漢方の丸薬、それに加えて江戸時代から普及してきた「奇応丸(きおうがん)」や「救命丸」、「反魂丹(はんごんたん)」、「陀羅尼助(だらにすけ)」、「六神丸(ろくしんがん)」などの家庭薬ではなかったかと考えられます。

奇応丸や救命丸は、現在では「夜泣き、癇の虫」の小児薬として知られていますが、昔は大人も服用していたようです。成分をみると、ニンジン、ジャコウ(麝香)、ユウタン(熊胆=クマの胆汁を乾燥させたもの)、ゴオウ(牛黄=牛の胆のうにできた結石)などの大変高価な生薬なので、当時は高貴薬として珍重されていたようです。

西日本では奇応丸、東日本では救命丸と、地域によってブランドが今も定着されているようです。私も父の跡を継いで店頭に立った頃はよく売れた商品でしたが、最近の少子化もあって残念ながら店頭からは姿を消してしまいました。

反魂丹は、富山の配置販売薬の原点ともいえるものです。元禄時代の頃、時の富山藩主、前田正甫(まえだまさとし)公が、江戸城内で腹痛に苦しむ(大名岩代三春藩の藩主・秋田輝季公と言われています)に反魂丹を勧めたところ、すぐに効果が現れ、このくすりが全国的に有名になったという逸話があります。ただし、現在販売されている反魂丹の成分は、当時のものとは異なるとのことです。

吉野や、二上山のふもとにある当麻(たいま)寺などでは、陀羅尼助が有名で、江戸時代では江戸の町でも販売されていたようです。その主成分はオウバク。成長すると20メートルにもなる大木、キハダの樹皮で、苦味健胃薬の代表的な薬です。かつて当麻寺中之坊では、大釜に入れたオウバクを真言、「陀羅尼」を唱えながら煮詰め、そのエキスを板状に固めてくすりとした、ということです。

六神丸は救心とともに強心薬として動悸、めまい、息切れ、気付けの薬として現在でもファンの多い薬ですが、胃腸の消炎作用や解毒作用や鎮痛鎮静作用を持つと考えられ、昔から高貴薬として珍重されてきました。

医療制度が十分発達していなかった江戸時代には、印籠のくすりは旅先で大きな安心を与えてくれたに違いありません。
 
   
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